『紅の華(くれないのはな)』

絢矢(あや):女
摩矢(まや):女
岡田以蔵(おかだいぞう):男
吉岡源十郎(よしおかげんじゅうろう):男

20時45分一本松
岡田以蔵:「貴公(きこう)のそのしなやかな太刀筋(たちすじ)、三笠(みかさ)の型(かた)とお見受け申す。」
絢矢:「一太刀(ひとたち)で見破るとは。さぞかし名のある剣豪(けんごう)であろう。」
岡田以蔵:「さにあらず。拙者(せっしゃ)岡田以蔵と申す。さりとて巷(ちまた)では、人斬り以蔵などと聞き及ぶ。貴公(きこう)はくノ一か。」
絢矢:「いかにも。幼き頃より忍(しのび)として刀を振るい、幾人(いくにん)の命をこの手に掛けた。そなたと同じ、この手は血に塗(まみ)れている。」
岡田以蔵:「なるほど。闇に生き、闇に散る。忍(しのび)の運命(さが)とは如何様(いかよう)にも、刹那(せつな)なものじゃ。相(あい)分かった。
     此度(こたび)の真剣(しんけん)は、ここまでにしよう。失礼した。」
絢矢:「ほう、そなたの腕ならばこの命、容易く(たやすく)奪えたものを。損をしたな。」
岡田以蔵:「いや、忍(しのび)とはいえ、女子(おなご)を殺める(あやめる)のは拙者(せっしゃ)の義に反する。それに、貴公は美しい。」
絢矢:「なっ!何を戯(たわ)けたことを!からかうのも程々に…」
岡田以蔵:「誠(まこと)を言うたまで。いずれまた。次に会う時は戦装束(いくさしょうぞく)でないことを願う。」
絢矢:「ちょっと!…何よ。あんなこと初めて…ああもう!」

闇に消える絢矢。

岡田以蔵:「…人斬り以蔵も老いたものよ。あの様な華奢(きゃしゃ)な体で一刀流に挑むとは。流石のわしでも切れぬわ。
     しかしあの二刀(にとう)小太刀(こだち)の捌(さば)き。並みの腕ではない。ひょっとすると後(のち)の害となり得るやもしれぬな。」

武家屋敷
07時00分
吉岡源十郎:「刀に打ちしはさざ波の如く(ごとく)。真(しん)に流れしは鋼(はがね)に此(これ)愛おしき。せいっ!」

2つに割れる竹
吉岡源十郎:「切れ味に衰えはなし。さて、少し外に出ようか。…ん?」
摩矢:「あの…。」
吉岡源十郎:「如何(いかが)致した。拙者に何か。」
摩矢:「…お尋ねしたいのですが、この辺りに私と似た顔の女子(おなご)を見かけませんでしたか?」
吉岡源十郎:「尋ね人、ですかな。はて、見た覚えはござらぬが。」
摩矢:「そう…ですか。」
吉岡源十郎:「お困りのご様子。拙者でよければ話を承(うけたまわ)るが。」
摩矢:「はい…。実は私の双子の姉でして…。里に下りたとたんに姿をくらませてしまったのです。
   120里程探し回ったのですが…一向に見つからなくて。」
吉岡源十郎:「120里!?それはまた大変な旅で。」
摩矢:「いえ、大したことはありません。」
吉岡源十郎:「里と申したが何処(いずこ)より。」
摩矢:「伊賀の国にございます。」
吉岡源十郎:「伊賀?まさか、忍(しのび)ではあるまいて。」
摩矢:「あ、違います。刀の類(たぐい)は持ち合わせておりません。」
吉岡源十郎:「確かに出立(いでたち)からは分からぬが…。丸腰で長旅はさぞ怖かろう。
      拙者の屋敷で泊まりはせぬか?ここからその姉を探すがよい。」
摩矢:「そんな、ご迷惑では…。」
吉岡源十郎:「お気になさるるな。武家故(ゆえ)に衛(まもり)は堅い。安心して疲れを癒すがよい。」
摩矢:「それでは…遠慮なく。」
吉岡源十郎:「一間(ひとま)を貸したもう。困り事あらば腹蔵(ふくぞう)なく申されよ。」
摩矢:「…痛み入ります。」
吉岡源十郎:「明日江戸へと参る。その時を共に致せ。さすれば何かしらの風説が入るやもしれぬ。」
摩矢:「手厚きお計(はか)らい、何とお礼を致せば…。」
吉岡源十郎:「その義に及ばず。今宵(こよい)はゆるりと休まれよ。世話人に面倒を頼んでおく。拙者はしばらく留守に致す故(ゆえ)。」
摩矢:「ありがとうございます…。」

21時50分二本松
絢矢:「今日は3人か。血糊(ちのり)で指がいうことを利かぬ。それにしても、これほどまでに悪が蔓延る(はびこる)町とは…。
   江戸とはなんと恐ろしき所かな。金に心を奪われ、善人を踏みつけてでも悪事にその身を染まらば人にあらず。
   鬼畜生(おにちくしょう)となんら変わりなし。世も末だな。」

12時15分江戸
吉岡源十郎:「どこか、心当たりなぞはないのか。闇雲に探した所で当たりはせぬ。」
摩矢:「最後に聞いた噂では、どこぞで夜な夜な人を殺(あや)めているとか。…見たわけではないので信じがたいのですが。
吉岡源十郎:「なんと…。人斬りか。」
摩矢:「確かに、伊賀は忍(しのび)の里。ただ、義理なく人を切るなどは法度(はっと)。
   もしその噂が真(まこと)なら、必ず理由があるはずなんです。」
吉岡源十郎:「そうか…。ならば、所司調役(しょししらべやく)に問うてみよう。何か分かるやもしれぬ。
摩矢:「はい…。」
吉岡源十郎:「そういえば、名をまだ聞いていなんだ。」
摩矢:「摩矢と申します。姉は…絢矢。」
吉岡源十郎:「摩矢…珍しき名かな。」
摩矢:「伊賀の者には本当は名などないのです。私と絢矢は育ての親に名を付けて頂いて。」
吉岡源十郎:「生みの親は?」
摩矢:「死にました。」
吉岡源十郎:「摩矢殿…?」
摩矢:「あっ、すみません。」
吉岡源十郎:「訳ありの様じゃな。敢(あ)えて聞くのはやめておこう。」
摩矢:「申し訳ありません…。」
吉岡源十郎:「ここじゃ。話を聞いて来る故(ゆえ)、しばしお待ちあれ。」
摩矢:「恐れ入ります。」

30分後
吉岡源十郎:「待たせたな。おおよその話は聞いてきた。」
摩矢:「何か分かりましたか?」
吉岡源十郎:「代官、問屋が立て続けに殺されておる。いずれも傷は深く、一撃で仕留められているようじゃ。
      刀は二本。短刀もしくは小太刀(こだち)による殺傷とみて間違いないらしい。」
摩矢:「!?」
吉岡源十郎:「どうした?」
摩矢:「絢矢…。」
吉岡源十郎:「姉の仕業か?」
摩矢:「はい…。絢矢です。その殺し方、首と心の臓では?」
吉岡源十郎:「首の傷は開き、胸はえぐるような刺され方をしているそうじゃ。なんとも酷い(むごい)。」
摩矢:「…三笠(みかさ)の型(かた)、奥義紅の華。」
吉岡源十郎:「三笠…?」
摩矢:「あっ、いえ!なんでもありません。」
吉岡源十郎:「とにかく江戸に潜んでいることは分かった。今晩、待ち伏せしてみよう。残る代官と言えば、
      有田之守義貞(ありたのかみよしさだ)殿。屋敷は心得ており申す。」
摩矢:「はい!」
吉岡源十郎:「摩矢殿は宿に。」
摩矢:「えぇ!?」
吉岡源十郎:「必ず会わせる。待っててくれ。」
摩矢:「は、はい…。」

同日23時40分 江戸有田屋敷
絢矢:「ここが最後か。いざ!」
吉岡源十郎:「あいや待たれよ!」
絢矢:「何者じゃ!邪魔立て致すな!」
吉岡源十郎:「吉岡源十郎じゃ。そちは…絢矢と申す者か。」
絢矢:「ならどうする!」
吉岡源十郎:「摩矢という名に聞き覚えはないか。」
絢矢:「摩矢!?何故(なにゆえ)その名を!」
吉岡源十郎:「そちを探して伊賀より江戸に探しに来ておるのじゃ。」
絢矢:「なんで…追うなと言うたのに。」
吉岡源十郎:「そちを生かして会わせねばならん。刀を納めよ。
絢矢:「あの悪党を殺さなきゃいけないんだよっ!そこをどきな!」
吉岡源十郎:「何故(なにゆえ)殺さなければならんのじゃ。訳をお聞かせ願いたい。」
絢矢:「関係ないだろ!邪魔立てするなら…切る!」
吉岡源十郎:「致し方なし。少し痛い目に遭わぬと分からぬようじゃな。」
絢矢:「くっ…。」
吉岡源十郎:「仮にも剣豪と謳われた(うたわれた)身、女子(おなご)と言えど容赦はせぬぞ。尋常に!」
絢矢:「勝負!」
吉岡源十郎:「せいっ!」
絢矢:「うっ!」
吉岡源十郎:「えりゃぁ!」
絢矢:「はぅ…!」
吉岡源十郎:「ふんっ!てぃあ!!」
絢矢:「あぐっ…!」
吉岡源十郎:「力の差は歴然(れきぜん)じゃな。」
絢矢:「舐めるな!」
吉岡源十郎:「くっ、うわっ!」
絢矢:「勝負あったね。…死になっ!!」
摩矢:「姉上!」
絢矢:「!?」
摩矢:「もうやめて!はぁっ!」
絢矢:「くっ!ふっ!」
吉岡源十郎:「摩矢殿!やはり!」
絢矢:「はぁ…はぁ…摩矢!どういうつもり!」
摩矢:「もうやめて!誰を殺しても父上は帰ってこない!分かってるでしょ!?」
絢矢:「はぁ…はぁ…。」
摩矢:「伊賀の心得は!」
絢矢:「生かさず殺さず…。」
摩矢:「どれだけの人を殺したの!?悪人は絢矢が裁くものじゃない!
絢矢:「父上は…父上は辻斬りで死んだんだ!悪党はみんな殺さなきゃ悲しむ人も減らないんだよっ!」
岡田以蔵:「それは…拙者のことを言うておるのか。」
絢矢:「あんた…。」
吉岡源十郎:「人斬り以蔵の異名で知られる岡田以蔵殿とお見受け致す。」
岡田以蔵:「いかにも。伊賀、甲賀で忍(しのび)を殺(あや)めたことも遠い記憶かな。吉岡源十郎殿。」
絢矢:「まさか…。」
岡田以蔵:「…時介(ときすけ)と申したか。命乞いにとどめを刺した。子供の身を案じるその様は、
     好々爺(こうこうや)となんら変わりなし。ゆっくりと死んで逝ったわ。」
絢矢:「貴様ぁぁぁっ!!」
岡田以蔵:「緩い!」
絢矢:「う゛っ…!かはっ!」
摩矢:「姉上!おのれー!!天誅(てんちゅう)!」
吉岡源十郎:「摩矢殿危ない!」
摩矢:「三笠の型!紅の華ぁ!!」
絢矢:「摩矢ぁぁ!!」
岡田以蔵:「おやおや…袈裟(けさ)斬りが甘い。」
摩矢:「あっ…。かっ…。」
絢矢:「摩矢…やだ…。」
岡田以蔵:「う〜ん…ふんっ!」
摩矢:「ごふっ…!かはっ…。」
絢矢:「やだ…やだぁ!摩矢ぁ!」
岡田以蔵:「死に体。勝負あり。」
絢矢:「摩矢ぁ!摩矢ぁ!馬鹿!!弱いくせにでしゃばるな!死ぬなぁ!やだぁ!摩矢ぁぁっ!!」
吉岡源十郎:「父を殺した挙句その妹君まで切るとは…。許さん。」
岡田以蔵:「尋常に。」
吉岡源十郎:「勝負!」
岡田以蔵:「なっ…!」
吉岡源十郎:「懐(ふところ)が浅い。勝負あり。」
岡田以蔵:「がはっ…!」
吉岡源十郎:「仇打ち(かたきうち)、これにて。」
摩矢:「ぁ…ゃ…。」
絢矢:「摩矢!?しっかりして!摩矢!?」
摩矢:「ご…めんなさ…ごふっ!」
絢矢:「喋らないで!助けて!摩矢を助けて!!」
吉岡源十郎:「申し訳ない。この傷ではとても助なからない。急所を貫かれては打つ手が。」
絢矢:「そんな…摩矢!?摩矢!?」
摩矢:「お父さ…逝く…ね…。」
絢矢:「摩矢!?摩矢!?ねぇ摩矢!?摩矢!!あ゛ぁー!!!」
吉岡源十郎:「絢矢殿。」
絢矢:「離せっ!摩矢!摩矢ぁ!」
吉岡源十郎:「死に申した!!絢矢殿!死に申した!」
絢矢:「やだぁ…一人にしないで…。やだよ…やだよ摩矢ぁ…。」
吉岡源十郎:「忍(しのび)の運命(さが)でござる!舞うも散るも闇!」
絢矢:「あ゛ぁー!!!」

吉岡源十郎:忍とは己(おの)が命を捨てさりて、儚(はかな)き華(はな)こそ、紅く咲きにけり。

END
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